──女ひとり旅で私が信じるようになった“感覚”の話
旅をしていると、びっくりするくらい親切な人に出会う。
道に迷えば声をかけてくれるし、重い荷物を持ってくれる人もいる。
バリでも、バスの運転手さんや乗客の人、Grabのお兄さんまで、本当に優しい人ばかりだった。
でも同時に、「あれ?」と小さな違和感を覚える瞬間も、確かにあった。
今回の旅で何度かあったのが、日本語がとても上手な現地の人に声をかけられる場面。
最初は普通の世間話から始まって、「どこから来たの?」「一人なの?」と距離が一気に縮まる。
ここまではよくある話。問題はそのあとだった。
空港では
「e-moneyカードはクタでしか買えないよ」
「空港には売ってないよ」
そう言われて、連れていかれた先には、実際に何も売っていないコンビニ。
その人は最初から“ない”ことを知っていたはずなのに、私は一瞬、信じかけてしまった。
その瞬間、頭のどこかでピコッと小さく警戒ランプが点いた。
「これ、ちょっとおかしいかも」
そう思って、私はその人から離れてインフォメーションへ。
結果はあっさり、
「e-moneyカード?ちゃんと売ってますよ」
だった。
また別の日には、クタの人通りの多い通りで、
「すごく体にいいコーヒーがあるんだ」
「Googleの評価もすごく高いよ」
そう言われて少し一緒に歩いたこともあった。
途中で突然バイクが出てきた瞬間、またあの“ピコッ”が鳴った。
私はその場で立ち止まって、
「ごめん、やっぱりやめておくね」
そう言って引き返した。
旅をしていて思うのは、
本当に危ない場面って、映画みたいに分かりやすくは来ないということ。
ほとんどの場合は、
・話がうますぎる
・距離の詰め方がやけに早い
・お金の話がやたらと出てくる
こういう小さな違和感から始まる。
日本語が上手=危険、ではない。
実際に本当に優しい人もたくさん知っている。
でも、日本語+お金+やたら親切が同時にそろったときは、少しだけ距離を取る。
それだけで、防げるトラブルは本当に多いと感じた。
私は旅の中で、
「自分の感覚を信じていいんだ」
と初めてはっきり思えた。
立ち止まって考える。
少し離れる。
それだけでいい。
無理に愛想よくしなくていいし、説明もしなくていい。
「ノーサンキュー」で十分だし、理由はいらない。
それでも私は、旅が怖くなったわけではない。
今でもローカルバスが好きで、街歩きが好きで、知らない景色を見るのが楽しい。
ただひとつ変わったのは、
**“人を信じる前に、まず自分の感覚を信じる”**ようになったこと。
このブログを読んでくれた人が、
もし旅の途中で小さな違和感を覚えたとき、
この話を少しだけ思い出してくれたらうれしい。
そして、その違和感を無視せず、
ほんの一歩だけ立ち止まってくれたら。
それだけで、旅はずっと安全になると、私は本気で思っている。

コーヒー片手に、今日もここで旅の記録を書いている。(撮影:tabi-fa)

バリの風を感じながら。
(撮影:tabi-fa)

下に貼ってる【HIS&トラベロカ】は、tabi-faの定番チェック先。
安いの出てることもあるので、チラ見だけでも◎



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